「………不味い。」
『……あの月…くん?』
「なんでこんなに不味いの食事。いやいいけど」
『……ええと、はあ…すいません…?』
「いい加減腰痛い。もう限界。別に何事もなくてもこのままだと死ぬ、腰痛で」
『ええ…!?それは困ります…あのでもどうすれば…』
「……竜崎」
『はい?』
「ごめん独り言だから。付き合ってくれなくていいんだよいちいち」
『……………………はい』

溜息を吐いてカメラの方を見返す。本当なら叫びだしたいぐらいに、なんと言うか苛々しているのだが。 混乱の極みにあるだろう竜崎の顔を思い描くと、ほんの少しだけ鬱憤が晴れた。





弱さとは何でしょう ( 認めること、諦めること )






監禁期間も二週間目になると、大概身体の彼方此方にガタがきている。といっても、今の自分の感覚としては まだ数日を過ごしただけに過ぎないのだが。それでも無理に身体を固定されているせいで、いい加減体力も限界だ。 昔の自分はよくもまあ50日以上も耐えたものだと思う。其れと同時に、またこれから一月以上もこの生活が続くのかとも思えば 自然気分も暗くなるものだ。もしかしたらもっと早く終わるかもしれない、とも考えてみるが寧ろその逆のパターンに なる確率の方が高い気がした。何しろ疑いを解かれた「夜神月」はあの瞬間真実潔白であったが、今の自分は それはもうありありとキラである自覚がある。

無駄に零れ落ちる思考を溜息をついて遮り、首を傾けて肩に預けた。座り込んでいると体力を消耗するので 寝そべっていた方が良い様な気もしたが、なんとなくコンクリート床に寝転ぶのは抵抗があった。考え事をするのには 到底不向きだし、当時と違って焦りのない今ではその不衛生さだとか下らないことが目に付いた。
"当時"――、やはり認めざるを得ないところまで来ている。まあこうなってから二度目にこの場所で目覚めた時点で、 疾うに其れは不動の事実となって自分を縛ったのだが。



其れ、――つまりどうやら今は「2004年の6月」である、ということだ。



最後の記憶…というのもなんだかおかしいが、あのYB倉庫での記憶は確かに2010年の年が明けた1月のことだった。 勿論其処にいたるまでの記憶には齟齬も欠落もない。
なのにこうしている今は確かに、レムを使い第三のキラにノートを渡すことで窮地を脱しようとした、まさにあの時期なのだ。

全く奇妙なことになった。何故こんなことになってしまったのかは分らない。 デスノートを使い続けた何かしらの副作用なのかも知れず、もしやリュークが何かしたのもしれない。 しかしそれを尋ねようにもここは完璧にカメラの監視下であり…それになにしろリュークがいないのだ。
竜崎は此の前確かに「七日目」といったから、あの当時の状況ですれば確かにリュークはもうここにはいない。 だが今の自分は記憶を放棄等していない、まあそれ以前の問題ではあるが、どちらにしろ姿が見えないのだから仕方が無い。


こんなにも奇妙な状況なのに、だが自然と僕は順応できた。

今は2004年の6月。
だから当然の事ながら、僕がキラであることは誰も知らない(ミサでさえ、だ)。


そして――父さんも、竜崎も普通に生きている。

これからどうすればいいのか、僕は全部知っている。
でもだからこそ、今の状況で取るべき態度はただ只管に待つことしか、ない。



竜崎が、僕をこの檻の中から出す瞬間を。


また小さく息を吐いて、背中に伝わるコンクリートの冷たさにそっと眉を顰める。 時期は夏、蒸し暑い時期であるというのにこの監獄は酷く底冷えしている。 あの男の支配下にある状況。ここ数年、…竜崎が死んで、から、暫し忘れていた感覚。 威圧と執念と、何よりも全てを貫くような熱情で持って僕を縛る其の。



自然と口の端が笑みを刻む。
監視カメラの向こうで、浮かべられるであろう疑念にうっそりと微笑みを。








「……」


流石に一月を越えるともう無駄口を叩く気力も残っていなかった。 それどころか眠る気にすらなれない。時間感覚さえも失うようなこの檻の中、する事もなくすべき事もなく、ただ只管に時の流れるのを待つだけ。正直眠り飽きて、目を閉じてもちっとも睡魔が襲ってこない。それでも無理やり惰性で起きているのも中々に苦痛だった。眠っていれば少しは体力の消費を避けられると分かってはいるから、眠りたいのに、其れができないのは中々のストレスだ。
竜崎は定期的に何かしらと話しかけてきていたが、半ば生返事で真面目に取り合う気にもならない。 内容は一緒なのだし、それに当時のように必死になって食い下がることは酷く馬鹿馬鹿しい。 どうせ胡散臭いとしか思われないだろうし、大体僕は本当にキラだ。 それに既に火口が活動を始め、竜崎が焦っているのは知っている。 得られぬ確証は、この先この状態が続く限り延々とそのままなのだ。

はっきりと聞いたわけではないが、当時捜査員の突き上げを食らった竜崎が半ば渋々といった様子で、自分とミサの解放を決めたことは知っていた。条件付の解放ではあったが、その選択肢自体竜崎にとっては臍を噛む様なものであっただろう。彼にとって自分がキラであるという真相は、彼の総てを賭して得た真実なのだ。しかし活動を再会したキラを止める為には、己が確信だけでは足りないことを分からぬ程偏屈な男でもない。今回も時期の前後はあるにせよ、必ず「その時」は来るはずだ。
しかし考えてみれば、もし自分が檻から出されるときが来たらまたも父と、某かのアクションを起こさねばならないのかもしれないのだ。それは酷く憂鬱な想像だ。父にあんなことをさせるのは、正直嫌だった。竜崎も酷な事をする、と今更のように思いながらぼんやりと当時のやりとりを思い出していた。




斯うしてじっと無為な時間を過ごしていると、とりとめもない思索ばかりが浮かぶ。
監禁されて、解放されてからは手錠で繋がれ、第三のキラが火口であることを突き止めるまで皆で捜査をする。 …そして竜崎が死に、それからは緩やかに世の中がキラへと傾いていくのを見守ることになる。 現れた”Lの後継者”に追われることになって、そうして最終的にはあのような結果を迎えることになる……――

だけれど、この過去、否未来は今なら幾らでも変更がきく。 監禁から解かれて、手錠で繋がれる、此れまでは恐らく現時点ではもう変えることが出来ないだろう。 ただ其の先は、恐らく総てを覆すことも出来る。例えば火口の件にしても、もう火口だと分かっている以上 わざとその事実を忌避して捜査を進めることも可能だ。大体今の竜崎に意欲が無い以上、自分が其の事実を掘り出さなければそれだけでヨツバにたどり着くのに要する時間は延びるだろう。そして竜崎、…ニアやメロに関しては最早煩わせられることも無い。ノートさえ手元に戻れば、いくらでもやりようがあるし、もし最低限彼らだけを殺さねばならないのだとしたら、ノートどころか時計さえ手に入れればいいのだから監禁を解かれればその時には機会が巡って来る事になるのだ。勿論すぐさま殺したりするのは愚かな真似だが、其れ程までに自分には選択の余地があるのだ。


「……っふ」

今度こそ、新世界を築けるのかもしれない。否、障壁の除去方法が分かってる以上其れは必ず為せるだろう。


……あなたはただの、人殺しです――


不意に耳奥で響いた声に、ちらりと苛立ちが掠める。理解など、求めてはいないけれど。あの場で響いた其の論理の正しさは確かに認められるものでもあった。今更人殺しではない、などと意味の無い言葉遊びをする気は無い。新世界の為とはいえ、確かに個々の死は死であり、指先から紡ぐ文字の羅列は確かに殺人という行為だ。 同様に僕が己に大量殺人犯というレッテルではなく神の名を冠そうと、其の事象に差異は無いのだから。




『月くん』
「……なんだい、竜崎」


そんな思惟に耽ってる最中に飽きずに話しかけてきた声に、のろのろと視線を向けた。何もせず、こんな繰り返しのような思考を続けているだけなのに酷く頭が思い。竜崎の毎度毎度の尋問を受ける気力も無いので、できるならば無視してしまいたいほどなのだが。どうせ、同じようなことを言葉を変えて聞いてくるだけなのだろう。 ……しかし続けられた言いよどむ様な沈黙は常に無いものだった。少しだけ驚いて、問いを返す。


「…竜崎?」
『……矢張り体力は落ちてるようですね』

「当たり前だろう…正直監禁してくれとは言ったがもっと良い待遇でも良かったんじゃないかとは思ってるよ。別に、鉄格子の中でなくホテルの一室だったらキラだと断定できない、という訳でもないだろう…」

常に無い竜崎の反応に戸惑いながら、お決まりのような軽口を無理やりに吐いてやったがまたも不自然な沈黙で返してくるだけだった。少し苛立って、睨みつけるようにカメラを見返す。何時もなら流すか、応じるか、どちらにせよ何かしらの反応は寄越すはずなのに。

「…というか今更なんだ…体力なんてもう数日前から尽き果ててるよ…」
『……何だか顔色が宜しくないです。また倒れられても困りますし』
「だったらさっさと出してくれ…僕は、キラじゃない…」

溜息をついて幾度目かになる決まり文句を続ける。竜崎の不審な態度は気になったが、それ以前に体力が限界なのはもう厳然とした事実だ。心底いい加減出してもらいたいのだが、そう簡単に行くはずもない。 だから最早八つ当たりのようにこの馬鹿馬鹿しいフレーズを繰り返すしかないのだ。僕はキラじゃない、だなんて。酷い幼稚な嘘を。




『……そうかもしれませんね』




「………は?」


何か途轍もない言葉を聞いて、呆然と体を起こす。ぎしぎしと軋む体も今は気にならないほど、頭の中が真っ白だった。


「竜崎?あの、ええと?」
『……いえ、兎に角体に不調を感じたら直ぐに言って下さい』


ブツッと通信の切られた音が殊更に響く。唖然とその音を何処か遠くに聞きながら、先程の台詞を反芻していた。 竜崎が、真坂僕がキラではないかもしれない、なんてありえない台詞を僕に漏らしたというのか?僕が真実キラでなかったときには、あんなにも頑として譲ろうとしなかったのに?一体どういう事なのだ此れは。


混乱の極みに又も嵌り込みながら、だけれど何故だか先刻まで感じていた頭の重さは薄らいでいる。 もしかしたら今なら眠れるかもしれないと、ゆっくりと目を閉じた。