「あなたはただの人殺しです」

その場にあったのはただただ愚かしい無理解と隔絶された嘲り、そして絵空事のように唱 えられる断罪だけだった。

身を貫いた銃弾、灼けた掌を滴る赤黒い滴が薄汚れた床に落ち、崩れ落ちた己が身を滑ら せる。五月蝿く耳朶を満たす喘鳴は酷く遠くから響いていたが、それは紛うことなく自分 の口から漏れ出るものであった。

「……リューク、リューク!!」

目の奥を焦がす怒りのまま死神の名を呼ぶ。不思議と先程まで脳天を貫くようであった痛 みは治まってきている。 ただその後に残ったのは著しい、某かが欠けた感覚。流れた赤と共に出ていった全ては地 に落ちて、何を取り零したのかさえもう判然としない。

失った世界、輝ける優しい未来、其処にあるもの。
たった一つだけの僕の、冀う望み

空を掻いた手は何に行き当たることもなしに、瞬間落ち来る衝撃に強張った。

「……ちくしょう」

たった一つ、それだけしか無かったのに其れすらもう分からない、見えない。




そして全ては黒に塗りつぶされる。






強さとは何でしょう ( オフレンダは為されずに )










まず知覚したのは頬にあたる堅さだった。冷たく画一的な感触で、自分が地に伏している ことを知る。鉛を飲んだかの如くに身体は重たく、指先を僅かたりとて動かすのも億劫 だった。 瞼を押し上げようとして、その固さに驚く。否応無しに落ちかかる暗闇は、嗚呼先程訪れ たばかりの其の瞬間、に少し似ているとぼんやりと思った。

散逸する思考を惰性で繋ぎとめ、ゆるりと構築していく。僅かに傾いた頬が地を掻いてざ り、と鈍い音をたてた。口の端から漏れた吐息が、喉奥の渇きを知覚させる。

…水が欲しい。
そう考えた刹那、弾けるように覚醒が訪れた。



……生きて、いる。


先程、確かに訪れた死。ノートの絶対なる力は誰よりも知悉している。其処に偶然等とい う甘えた要素の介入はあり得ない。第一、確かに引き絞るような痛撃が胸を貫いたことを まざまざと覚えている。這い上る絶望の深さに堰を切ったように目端から溢れた涙の感 触、灼熱に眩むほどの渇望を叫んだ喉の痛みそれら全てが余りに鮮やかに記憶に刻まれて いる。

なのに、こうしてそれらを知覚する自分は確かに生きている。死後の世界などという馬鹿 げたフレーズが一瞬頭をよぎったが、すぐさま否定した。無の概念など問うまでもなく、 こうして甦る記憶の鮮やかさ、重たい身体、そしてそれを感じる現状が生きているという 其れそのものと同義である。

どうして、 という言葉が勝手に口から零れ出る。



分からない分からない確かに死という全てに席巻されたのに今自分は斯くして其の死を回 想しうる状況にあり少なくとも明瞭な思考を保って生きて


恐慌の類の激情が急激に水位を増し、呑み込まれる感覚に思わず息をのむ。 声にならぬ叫びが駆け上がり迸る正にその瞬間、不揃いな金属音が響きわたって耳朶を埋 め尽くした。



再度高い音で鳴り響いた其れに覚えがあって、思わず全ての思考を止める。がしゃん、と いう冷たい音は重たい鉄格子の扉の音に酷似していた。
続いて人間の気配を感じて、びくりと肩が揺れた。といっても、未だ儘ならぬ重みは身体 全体を地に拘束しており大した動作を許してはくれないのだが。

水が欲しい、と放棄されていた思考がぼんやりと繰り返した。声が出れば、目が開けば、 手を差し出して求めればいいのかもしれない。其処に誰かが、居るのだから…―


「月くん」


耳を差し貫いた響き、その擽る声音に今度こそ全てを奪われる。聞き覚えのある、忘れよ うのない声。

「……月、くん。…」

こちらの反応を伺うようにもう一度其の声が名を呼ぶ。 必死に眼をこじ開けようと、瞼に意識を集中させる。信じられない、早くこの目で見て確 かめたいのだ。
一向に持ち上がらない其れに焦れていたら、不意に首筋にひやりとした感触が伝った。脈 を静かに押さえる指、滑らかで冷たい、記憶と寸分違わぬそれが堰止めていた何かを一瞬 で瓦解させた。

押し開く勢いのまま目をあければ、地に伏せた自分の傍らにしゃがみ込んでいた男は少し 驚いたように一度瞬きした。 相も変わらず妙な格好で座している男。


確かに自分は先程死んだ筈だった。名前を書かれた、無様に薄汚れた床に這った。
そして確かに男は、僕が殺した、筈なのに。


「…りゅ、ざき…」

呆然とその一番呼びなれた名を呼べば、竜崎は至極自然にこちらを見返した。







竜崎の手を借り起こした体を、灰色のコンクリート壁に凭れ掛かるようにして座らせる。 依然重たい其れは酷くぎこちない動きでしか意にならなかった。 大体それに重いことを除いても体を動かし辛い、と思えば手足は拘束されていた。気付か なかった自分も迂闊だが、そこまで意識が巡っていなかったのだから仕方がない。

ようやくなんとか落ち着けた体勢で竜崎を見上げる。先程から別段何を言うでもなく、 淡々としている竜崎は何とも記憶に残るそのままの態度であった。



恐らくは。…恐らく彼は、やはり生きていたのだろう。彼の死後何度か疑ったこともあっ た。彼ならばそれ位はしかねないと、思っていた。 しかし竜崎はその事さえ先程から何も言わない。自分が酷く驚いているのは分かるだろう し、何より彼を殺したのは間違いなく自分なのだ。恨み言の一つや二つ、それか態とらし い種明かしでも始めそうなものであるのに。

それに何よりも、余りに変わらなさすぎる。…何故こうして自分が生きているのかは分か らない、がこうして生きているからには確かなことが一つだけあるのだ。

夜神月はキラである、と知れているということ。

ニアは恐らく世間に僕の素性を流しはしなかっただろうが、関係者は知るだろうし何より も生きていた竜崎、に知らせぬ訳がないのだ。 知れたからこそこうして自分はまた拘束されている。負った筈の傷が感じられないので、 随分と長いこと意識を失っていたのだとは思う。端的に言えば床に転がしておいても死に はしない程度には治療されたのだろう。 酔狂なとも思うが、ニアの気性を考えれば分からなくもない。あの餓鬼は形式的な勝利に 酷く拘ったし、殺す気はないとも言っていた。


兎にも角にもそうして辛うじて生かされているキラに、殺されかけたというのに竜崎はな にも言わないのだ。流石に少しばかりおかしい。殺気立ってもいなければ、帰着した勝敗 を受け入れているようでもない。


「竜崎…」

漸く滑らかに動いた舌に少し安心して、見上げた男を呼んだ。今の状況を説明してくれて もいいだろう、と態とらしい困惑を浮かべる。もしかしたらキラのそんな態度は一笑に付 されるかもしれないとも思ったが、如何様にも今の境遇を知れるならそのような方法でも 別に構わなかった。


「ああ、大丈夫ですか月くん。流石に体に無理がありましたかね…医師を呼びましたから 少し待って下さい」
「……………は?」
「外に出す事はまだ許可しかねますが…貴方でなく私の手配した人間を一時中へいれる位 なら平気だと判断しました。勿論私も立ち会いますし、月くんには目隠しをして頂きます がご了承願えますよね」

すらすらと竜崎の口から流れだす言葉は、予測にあった幾つかのものと余りに違う。内容 が噛み合わないのは勿論のこと、第一声音に含むところ一つない。以前のようにただ淡々 と述べるだけなのだ。

「…ええと…」
「…まだ七日しか経っていないとはいえ、流石に窶れています。意識を失う程衰弱してし まうとは予想外でしたが…」


激しい既視感に襲われて、くらりと頭が揺れた。まさか、そんなあり得ない。


「とはいえ月くんが言い出したことでもありますし、もうしばらくは我慢して下さい…… キラの疑いが、晴れるまで。」

覚えのある鉄格子のあるコンクリート壁の部屋、拘束された手足。"七日目"だって?

「…竜崎…ミサはどう」
「お答えできませんが、まあ貴方よりは元気ですよ」



本格的に目眩がした。

途端少し慌てた顔でこちらに手を伸ばしてきた竜崎が見えたが、そんなことはどうでもよ かった。



「なにがなんだかわからない…」



そう呟きつつ、またもブラックアウトする視界にだが今度は少し安堵していた。