逃げるのは無理、隠れるのは無駄




何となく眺めていたら、竜崎は捲る弾みに手にしていた資料を取り落とした。 瞳に少し驚いた色をよぎらせた男を馬鹿だなあと月は思った。例えば今此処で僕が世紀の大告白を(勿論罪の、だ)始めようがいきなり死体に成り下がろうが、男は今みたいに驚かないのだと思う。たかが数枚の紙より軽い命、床に落ちた時に舞った僅かな塵みたいなものより微かな変化。
床に落ち散らばった何枚かの其れを、竜崎はちらと見下ろした。その瞳は困惑とかそういう類の感情を含んでいる。竜崎は無表情な方だったが、こう顔を突き合わせる時間が重なれば結構容易に感情を読みとれる程には人間味がある。というより、例えばキラだとか、些か理解しかねる偏執に属する分野でなければ竜崎は大して理解に難を要す性格ではない。

それにしてもこいつはさっきから一人で驚いたり困ったりして本当に間抜けだなぁと、また月は思った。

「落ちました」
「そうだね」

拍車をかけて馬鹿みたいな台詞が竜崎の口から聞こえたが、月は脊髄反射の要領で適当にそれを受け流した。 竜崎が何も言葉を続けなかったので月も何も言わなかった。

「…拾って貰えませんか」
「いいけど」

肯いてさっさとソファから立てば竜崎は微妙に面食らった(のだと月には見えた。) 竜崎の欲求が分からなかったから何も言わなかったのではないし、其の内容が気に食わなかった訳でも当然ない。ただ竜崎が黙るから月も黙っていただけだ。

すたすたと竜崎の方へ近づいて月は手早く書類を拾い上げた。

「ありがとうございます」

恐々それを受け取った竜崎に、どう致しましてと月は言う。 其れでそのままつっ立っていたら竜崎は今度こそ誰にでも分かるくらい困惑して声を上げた。

「ら、月くん?」
「なんだい」
「…どうしたんですか」
「僕何かしたかな」

変にどもる竜崎にさらさらと返答を返せば、また竜崎は黙り込んでしまった。

月は首を僅かに傾げ座る竜崎を見下ろす。こんなどうでもいいこととか些細なこととか、彼の存在意義や世間なんかとはこれっぽっちも関係ないバカげたことで、一人驚いたり困ったり焦ったりしている竜崎は酷く馬鹿みたいだった。自分がキラだとか言い出すより、拾った書類を叩きつけた方が驚くだろう。

とうとう竜崎は馬鹿だなあと口に出して言いかけ、延々竜崎を見つめていた月はふと何となく手をあげた。その挙動に驚いた竜崎に月は、口づけてみようかなとか酷く馬鹿なことを考えていた。