月下の墓参り




プルチネッラのお話、と言う普段耳慣れない単語に竜崎は小さく首を傾げた。唐突な話題に暫し戸惑う。 不思議な響きの言葉を紡いだ女は、だけれど至極落ち着いた目で竜崎を見やっていた。

「ミサさんがそんなことを知っているなんて少し意外です」
「竜崎さんたらまたミサを馬鹿にして!ミサはこれでも女優さんなんだよー?」
「それは関係ないんじゃないですか」

ぷう、と可愛らしく(主観ではなく一般的な意味で、形式的な愛嬌を竜崎は評価する)頬を膨らませたミサは、 気を取り直したように先を続けた。

「ミサは童話読むの、好きなの」
「ああ、ストラヴィンスキーの方ではなく、アンデルセン童話の方ですか」
「バレエはあんまり、興味ないの」

肩を竦めた女がついと足を組みなおすのを、竜崎は唯凝っと見ていた。
不意に身じろぎしそうになって、押し留まる。右手の繋がる先を今更のように思い出して、ちらと窺った。 鉄輪で繋がれている少年は、その目蓋を閉じて眠りの世界の住人となっている。この様な生活を始めてから 当然彼の寝姿などは珍しいものでもなくなってはいたが、如何にも違和感を覚えてしまう。 彼が無防備だなんて、それは酷い冗談のような気がした。

「…竜崎さんは、どんなお話か知ってる?」
「生憎、童話には詳しくないのですが。プルチネッラは道化、でしたよね」

ミサは、こくりと幼げに首を振るとふと黙り込んだ。 そもそも斯うしてミサとゆっくり会話を交わすのは、竜崎にとっては初めてのことだ。眠り込んだ月を起こして相手をさせても良かったけれども、ミサは何時もと違って淡々と竜崎に話を振る。それに付き合うくらいならたいした労力も感じない。くるくると表情を変え、感情的で短絡的な物言いをする彼女はいつだって竜崎の厭味に、本気で憤慨して、月に宥められるのが常だった。でも、此の様子からすると何時もの素振りは寧ろ月に窘められる其れが為のようにさえ見えてくる。

ミサはそろそろと眠る月の方に視線をやりながら、酷く曖昧な顔で笑んだ。どんなお話か、教えてあげようか竜崎さん、と巫戯気たような口調で告げられた言葉にだが竜崎はええ、と素直に頷いた。

「プルチネッラはね、コロンビーナが大好きだったのよ。でもコロンビーナはアルレッキーノっていう優男を好きだった。」

ミサはくすくすと笑うと、アルレッキーノって言い辛い、と付け足した。


―…コロンビーナは巫戯気てプルチネッラに”あんたが好きなのはあたしでしょ!”と言う。其れに対して道化のプルチネッラは、さも心底おかしいという風に、笑い転げてみせた。そしてコロンビーナはアルレッキーノと結婚する。結婚式の日、ニコニコと笑っていたプルチネッラは、夜泣いた。やがてコロンビーナは死んでしまう。葬式の日、妻を亡くしたアルレッキーノは舞台を休み、プルチネッラはアルレッキーノやコロンビーナの分までお客を楽しませることになる。プルチネッラはそれはもう楽しげに立ち回り、お客は大喜びする。



「…ていう、おはなし」
「ミサさんは其の話が好きなんですか?」
「あれ、ミサそんなこといったっけ?」

違うわよ、と続けたミサは急につまらなそうな顔になってソファに身を沈めた。 竜崎はそんなミサの様子に首を傾げて、だけれども不意に隣で漏れた声にすぐに振り返った。

「…月、寝言?」
「さあ…何を言ったかは聞き取れませんでしたが」
「いいの、寝言なんて勝手に聞いたらいけないんだから」

そういうものですか、と首をかしげた竜崎にミサは、竜崎さんにはプライバシーって概念がなすぎなのよと返す。 さばけた態度に、竜崎は少し憮然として黙り込む。此の少女の、愛しかたはどちら方と言うと全てを捧げて蹂躙するような、束縛を伴うもののように思えたのだが。率直に疑問を浮かべた竜崎にミサはうっそりと笑う。


「月が好きよ。でも月の全てを欲しいとは思わないわ」
「何故です?」
「竜崎さんは、全部欲しいの?」

さらりと聞き返されて、竜崎はさて、と半端に応える。特に言及もせずにミサはまた月の方に視線を向けた。 そういえばこの女は穏やかに眠る少年より年上だったのだと、不意に竜崎は思い出す。月は大人びた言動を意識してとることが多かったし、頭も回るから大抵実年齢より高く見えた。けれどもミサはそんな月を哀れむような目で見ると、彼の思惑など意に介さずに可愛がるようであった。
そもそも月が基本的なところでミサを、というか交際する相手を見下しているようなのは竜崎にはよく分かった。彼の基準は例えば竜崎と交わすような知的な探り合いの中だけに、存在するのだ。その偏った基準の他は、何もない。彼が真実犯罪者であったなら尚更、彼の中の天秤は酷く短絡的な基準でしか傾かない。善なる愚者か、悪なる愚者か。優秀か、そうでないか、たったそれだけの。それでもミサはその大衆に喜ばれる完璧な笑顔を顔に浮かべて、月に好意を囁く。単に盲目的で愚かな女ゆえのことだと、思っていたのだけれど。


「…ミサさんは、月くんを好きなんですか?」

間の抜けた質問を、だがミサは咎めなかった。

「好きよ。月のために死んでもいい。でもね、きっと私は死なないわ」

何があっても。彼の為には死んで挙げられないわ。と続ける。竜崎は少しだけ驚いて、その女の整った顔を見返した。

「月が居なくなったら、死んじゃうかもしれないけど。月の為じゃないものね其れは」

ふふふ、とおかしげに笑うミサが理解できなくて竜崎は益々訝しげに彼女を見やる。そんな顰めつらしないでよ、とミサは顎で指した。

「よく、わかりません。命を捧げるほどに好きなのに、死ねないと?」
「だって、私が死んだら月が可哀相じゃない。命を捧げるほど慕ってくれた相手が死ぬなんて、不憫だわ」

理にかなっているようなそうでもないような台詞に竜崎は又黙り込む。 ミサは爪をなぞる様にして両手をゆるりと撫でた。



「竜崎さんは、プルチネッラみたい」
「は?」
「好きなんでしょ、といわれても肯と言えないんでしょう」

挑発的に流された目線が、竜崎の顔を撫でて通り過ぎる。

「……どうでもいいでしょう」

質問の意図よりも、その声音が垂れる同情に満ちていて竜崎は閉口する。

「キラ、キラって。キラのこと好きなくせに。竜崎さんはコロンビーナとは結ばれないのよ」
「結構です。大体キラはそんなんじゃありませんし」
「バカみたい。キラだって、おんなじよ」

素直になってくれない相手には、応えづらいに決まってるわ。ミサの口調は、しかしどんどんと力無い物になってきて、竜崎は今度は意図的に言葉を止めた。
傍らで眠る少年はちっとも目覚める気配がない。昨夜も遅くまで捜査資料を睨んでいたから、当然なのかもしれないが。其れより何より此の少年は自分に、女に気を許しすぎなのだ。以前の彼は家族にだって一線を引いているように覚えたのに。最近の彼は酷く柔らかく、困ったみたいに笑うのが常だ。
彼はキラではないのかもしれない。それでもこの鎖に繋がれているのは間違いなく彼だった。 ミサは銀色の其れを疎ましげに眺めると、もう一度バカみたい、と繰り返した。


「好きなくせに。なんで言ってあげないの」
「…」
「月がかわいそうじゃない」

うすらと漸く少女の言いたいことを理解して、しかし返す言葉を持たない。最近の彼は酷く、優しげに笑む。

「…さっきのお話には続きがあるのよ」



プルチネッラは舞台を大いに盛り上げる。大喝采の中幕は閉じ、役者は去っていく。 そしてその夜遅く、プルチネッラはコロンビーナの墓の前で一人で月を見上げているだけで。



竜崎はふと、少年の首を此の手で縊ってしまいたい衝動に駆られた。
犯罪者かもしれない彼、短絡的な彼の正義でしか人を測れない子供。最近、其の身の好意を笑みだけに凝縮して伝え来る彼を、覚めた目で見やる彼女の前で、殺してしまいたいような。
彼の行為に答えられない道化、死を悼むことさえ許されぬ、哀れな。


「でも、」

不意にミサは暗い声で、先を続ける。それにはっとしたように、竜崎は我に返った。

「きっと、コロンビーナはアルレッキーノを選んでも、戯れに口の端に乗せた言葉を忘れられない」

好きなんでしょう、なんて。ほんのお巫戯気のはずの言葉。

「案外、道化なのは私のほうかしら?」
「ミサさん?」

月、好きよ、と真摯に笑う女。けれども彼はそんな道化師の笑いには心を貸さずに。彼女が見上げるのは何時だってさびしく輝くだけの夜空の月だけで。

「…いいの忘れて。竜崎さんにはわかんないもの」

憮然とした表情を浮かべては見たものの、言い返すこともない。
彼の首にたった今手を掛けても、彼女は其れをただじっと見ているのだろうか。命奪う其の刹那、例えば彼に愛を囁けば、彼は、彼女は、其れを許すのだろうか?そんな馬鹿らしいことが、あるはずはないと分かってはいるのだが。


「月は、かわいそうよね」
「…それは、」
「きっと月はかわいそうなまま、好きなんでしょう、なんて言えもしないんだわ」


柔らかに笑うようになった彼を、当然女は知っていた。困ったように窘める彼は、けれどもその万人に対する温情で彼女の愛を跳ね付ける。当然ながら竜崎の下らない執着も、だ。以前の彼は、そもそも切り研ぐよう口先を吊り上げるだけで、気を許して微笑むことなどなかった。孤独を知らぬは、それ自体に気付かぬゆえなのだと、女は歌うようにいつか言っていたけれど。

好意を戯れにでも口に出来ぬ彼は、阿呆のように笑むことしかしない。それはまるで道化のようだとうすらと思う。



道化ばかりの集うこの部屋に、物語は停滞している。舞台に立つ女優も、見目麗しい相手役も、全てが道化に成り下がって。ただただ輝くばかりの拒絶を仰ぎ、別離の標を見詰めるしかないだなんて。



「竜崎さん」
「なんですか?」
「好きなら好きと仰いな、直ぐにそんなこと、言えなくなってしまうんだから」

ミサはすいと立ち上がると月の前に立った。その顔に口付けて、頬を軽くはたく。

「月、月!おきて!」
「…んん、?ミサ?」
「月好きよ」

目覚め端に告げられた台詞に、だが月は目を擦りながら生返事を返すだけだった。

「月くん」
「…ああ、竜崎?」
「月くんは酷いですね」
「…は、…え?」

目を白黒させた月を尻目に、ミサはけらけらと笑った。竜崎は少しだけの寂寥感に首を傾げて、女を見返す。

「月、幸せにならないと呪っちゃうんだから」
「ミサ…その台詞は何かおかしくないか?」
「いいの」

もう一度彼に口付けると、ミサはひらりと身を翻して部屋を出て行った。何なんだ、と首を傾げる少年にさてなんでしょうね、と笑んでやってから竜崎は諦めにも似た倦怠感に緩やかに体を浸していく。


道化ばかりの織り成すこの終焉に、ただ一人で月下に立つことになるのはきっと彼なのだという予感がしていた。彼女も自分にも、救い難い、彼が。


そんな彼は、不思議そうに首を傾げると、またもただただ緩やかに笑みを浮かべるだけで。






誕生日おめでとう!
白月のイメージって一体。一応愛されてるがテーマ(えええ
ミサ→月→竜崎→キラな感じ。