手の内から零れ落ちる落差





私はその夜の事を忘れたことは無い。
其の夜の、空は美しいまでの漆黒に塗潰され





「……だから竜崎――」

ホテルの一室のドアを開く。奥の部屋から漏れ聞こえる会話。
自分が庁の方へと書類を取りに行っている間に、 どうやら捜査本部には部屋の主以外の人間が訪れたらしい。

酷くよく知る声
当然だ

その声は紛うことなき己が息子の声。
本来ならば仕事先で聞くには少しばかり早すぎるであろう其れ。

其のことを思えば、自然と苦いものが浮かびはするが 息子の此の場で見られる鮮やかなる才を誇らしく思うのもまた否定しがたい事だ

親としての欲目を抜きにしても本当によく出来た子だと思う
私の手を煩わせたこともなく、 極自然に成績も、素行も、何一つ文句の付け様が無い結果を弾き出した。



奥の部屋へと続くドアを開けようとして、手を浮かす
だが其の手がドアを掴む前に。

酷くよく知る声
しかし自分の知る其れよりも研がれたその語調に自然と動きを止める


「竜崎はそう動機付ける?」
「ええ、たぶん間違っていないと思いますよ」


何処か刺々しく詰問するその声は、確かな威厳と…


覚えの無い―――艶やかさ、を孕んで




浮かせた手をそれ以上動かすことが叶わない。 背筋を冷たい汗が流れ落ちるのを遠く感じた。

「キラは…多分酷く孤独な存在なのですよ」
「……其処は同意するけれど…」
「キラが悪の裁きなんていう子供じみた事を始めた理由、月くんだってお分かりでしょう」

嘲る様に落とされた吐息は、確かに息子の声が混じる
しかしそんなものを今まで私は聞いたことが無かった

「…僕に言わせたい訳?」
「…お厭ですか?」

ドアの向こうの男の笑みまでが鮮明に見える様。
確かすぎる愉悦を含ませた声はだが凄絶な圧を帯びる。



このふたりが
こうしたやり取りを交わすのは珍しいことではない
(疑うものと疑われるもの)
(追う者と追われる者の体裁で)

しかし思い知らされる己が無知
確かにこの二人が表面に出すその確執は所詮表面のものであったのだと


現にこの場で
(ふたりはふたりだけで存在し)
その帯びる空気の
(覚えの無い)
壮絶なことといったらば





私はその夜の事を忘れたことは無い。
其の夜の、空は美しいまでの漆黒に塗潰されていた。

そう、此の子が生まれた其の夜
美しい新月の輝く空は鮮やかなまでの黒一色
だからこの子に、今夜うまれ来るものの名を与えたのだ

別段、華やかな人生を送らずともいい
ただちいさくとも確かな幸せがあればいいと
そして願わくば―――







「キラが、……」

躊躇う声は確かに、確かに息子のものの筈で――

「……この世界に  して、確かな創世を為したがっているのだと」


冷徹な口調、聞き覚えの無い”誰か”の声
そうして聞こえてきたその言葉は?


「…満足か竜崎?」
「……いいえ、少しばかり」
「………お前は」


『キラが…… 僕、がこのせかいに  していると言いたいんだろう?』




別段、華やかな人生を送らずともいい
ただちいさくとも確かな幸せがあればいいと
そして願わくば―――



この世界に絶望するような、そんな艱難に出会わずにいて欲しいと



それだけを、願って





聞きなれぬ口調で紡がれた絶望
私の手を煩わせたことの無い優秀な子

煩わせる?ああでもだから、
私はあの子に手を伸ばしたことも無かった――



落とされた吐息は再度艶を帯び
そうしてその秘められた感情は確かな肯定



気付いたときには叩きつけるように、ドアを押し開いていた。



「!」
「夜神さん?」


こちらを振り向いたふたり
そして確かにその刹那、瞳の色を静かに翻して見せた、

その見慣れた息子の仕草に





思わず、私は





「………!!!ら、月…」
「……」

我に返り目の前を見やれば、ちいさく俯く息子の頬は赤く
乱れた前髪に隠れた瞳は伏せられて

振りぬいた手は、間違いなくこのわたしの

「……、」

横の男が珍しく心底驚いた表情で此方を見ている

嗚呼なんということを、なんということを!
よりによって私は第三者の前で?
今まで一度だってこんなことをしたことは無かったのに!

小さく震える肩を、思わず手で掴みぐいと引く。 謝罪を紡ごうとした口はだが、ゆったりと上げられた視線に阻まれた。


「父、さん……、」


抜け落ちたその表情、此方を見上げる其のいっそ無垢なまでの様
涙も浮かべぬ、哀しみを宿した瞳
問いかけるように見開かれた其処はシンプルなまでに



「……ごめん、」



掌の中からすり抜けた感覚は、戻ることは無く。
ただ俯いて私の横を通り抜けて行き、 そうして背後で押し開いたばかりのドアの蝶番が軋む音がしたのが最後。



「あ、」


名前を呼ぶ其のいとますらなく。





「―――夜神さん」
「……、りゅう、ざき」

溢れかえるような苦みに喉を塞がれながら何とかその男の名を呼ぶ。
責めるべきなのか責められるべきなのか、そんな採択すら儘ならぬ。


「分からないのですか」
「何が、だ」

少し上擦ったような声は男にしては珍しい感情を透かすもので

「彼が絶望したのは世界に、ではありませんよ」
「……っ、!?」


私のただひとつの息子への願い


「月くんは、貴方の居る”世界”と隔絶されたそれ故に」
「ばか、な」


首を振り掻き消してしまいたい。
あの息子がこの世界とやらの規範足り得ないことがあろうか?
ましてや其処から隔絶などと

……でも私は
(あの子に手を伸ばしたことが)


「………」
「キラは、裕福で……そうして」


じゅんすいな、ひとりぼっちのこどもなのですから


「……私は」
「今日あったことは全て忘れてください」
「忘れろだと?!」

「其れが彼の為です」
「……」


反論しようとして思い浮かぶ其の

抜け落ちたその表情、此方を見上げる其のいっそ無垢なまでの様
涙も浮かべぬ、哀しみを宿した瞳
問いかけるように見開かれた其処はシンプルなまでに

絶望を象り



私のただひとつの息子への願い
其れを阻害するのが他でもない自分だとしたら?



「……今日は、彼はきっと帰らないと思いますが……」
「……ああ、」
「次に会った時にはきっと何事も無いと思います」
「…そうなんだろうな」

それが自分の知る息子だ。


男は同情にも憤りにも見える塞がれた表情で、此方を一度見やると すいと視線を外して、あらぬ方向を見やった。

そうして此方へ戻されることの無い視線に


私は



力の限りに壁へ己が拳を叩き付けた。







ちょっとありえない話が書きたかった。 月様多分そんなに落ち込んでません本当。
エルエルは多分そんなに深いこと考えてません。 家に帰らない神が自分のとこに泊まんないかなあとか(え