目覚めた時、目の前に居たのは何処か硬い顔をした導師だった。





此処には誰もかえらない






「ガイラルディア・ガラン・ガルディオス」


冷徹と呼ぶには熱意(意思とでも呼ぼう)の欠如の甚だしい声が、その名を紡いだ。 室内の凍りついた空気は衝撃というよりも、急な展開への戸惑いの色が強かった。自分にしたって動揺より驚きのほうが強い。 この軍人に怪しまれているのは(それこそ初めて会ったその瞬間から)(少しばかり察しがよすぎる気もするのだが) 知ってはいたが、まさか其処まで詳しい素性が知れているとは流石に予想外だった。

「ホドの遺児、という訳ですね」
「……!」

ナタリアの(キムラスカ王女、の)息を呑む気配がありありと伝わってくる。露呈する事実は止め処なく、全てを曝け出そうとしていた。 だが其れを止めようとは思わない。どうせもう知れていることだ――その感情の存在、それ自体。







目を覚まして開口一番に導師が言ったことは、カースロットの所謂仕組みのようなものだった。

「貴方の憎しみは、其の笑顔に隠しきれるものなのですか?」
「……イオン、」
「ルークにも、この事は言ってあります。貴方の、意志が確かに介在するものであると」

問いかけの形を取られた其れは酷く彼らしい優しさに満ちているようで、その実静かな、深い叱責のようなものを籠めていた。 怒りではないのだ。彼は自分を怒ったりはしなかった。ただ酷く温度のない目で自分を(恐らくは其れよりもルークを)憐れんだだけだ。

「殺したいと、ずっと願いながら、何故ルークを」

わざと切られた言葉は、糾弾というより諦観のような色を滲ませていた。反駁しようにも、確かに誘拐される前のルーク(アッシュ、)に 自分がとっていた態度を思えば、確かにその立場だけで言い訳がつくようなものではない。

―――『ルーク様、私は使用人で御座いますので』

忌々しいことに、あの男の正統なる息子、生まれついての王者足る深紅の髪を持つ彼、はたかが十かそこらにもならぬうちから そんな線引きを受け入れることが自分に求められていることなのだと理解しきっていた。可愛げのない、だが好都合でもあった。彼にはファブレの息子としての矜持を保ってもらわねば困るのだ。
( 其れでこそ完璧な復讐劇 )( 茶番、だ )


慈しんだ(態度を取った)のは彼が「ルーク」だったからだ。そしてファブレ子息だったからだ。 そこに差異は無い(有り得ない)。

ルークが自分に無条件の信頼を向けているのを知っていた。そうさせたのは自分だ。
ルークがあの閉ざされた世界で自分と、そしてあのヴァンデスデルカを親のように兄のように慕っていたのを知っていた。
あの鉄面皮、罪深い憎き公爵に、求めて得られなかった代替品なのだろうが。
――それではまるで、「レプリカ」、のようだと酷く歪んだ気持ちで思う。

そうルークを育て(染め)あげたのが自分だと知っていた。イオンにしたって(其れは深浅の差は勿論あれど、同行者全員にいえることだが)、ルークの態度からそんなことは理解していただろう。

真っ白な、ルークを下らない賭け事のチップに仕立て上げたのも他ならぬ自分ではあるのだが。

「…俺はもう殺さない」
「ガイ…、」
「ルークを憎んでいたのは確かだけれど、それはもう昔のことなんだ。…勿論ルークにもちゃんと言うさ」

そんな位置にいた自分の”裏切り”。ルーク自身は言うまでもなく、彼を気遣う者(自分をも含むのがなんとも可笑しい事なのだが) に大きな衝撃であったに違いないその行為。実際、眼前の導師は元々何時いかなる時も、其れこそあのアクゼリュスのときさえ、 ルークに優しかったのだから、このように悲しげな顔で似合わぬ詰問の様な真似をするのも不思議なことではない。

「貴方はルークの親友…ですよね?」
「ああ、勿論だともイオン」

俺はルークの親友だ。兄でもあるし親でもあるといえるだろう。使用人という立場だって 自分が立つ位置をルークの側に正当化する意味では重要なものだ。

優しい、真っ白なルーク。俺に復讐などという下らない真似を捨てさせた、こども。 よっぽど”聖なる焔”の名に相応しい(あの男より)、その性を具えたルークを、 俺はもう殺すことなど出来はしない。俺にはあの朱が必要なのだ。
もうそろそろ賭けの帰趨も定まりつつある。嗚、恐らくはこの生を捧ぐこととなる 主君を失える筈があるものか。

もう痛みの引いた腕に掌を当てて、そっと摩る。未だに熱を帯びるような其処は確かな自分の罪の証だ。 それはファブレ公爵、あの仇の罪の鏡写しとしての重荷。引きずり出したこの穢れそれ自体は きっかけには過ぎずとも、晒されたものは自分の真実であったことも確かなのだ。(たとえそれが過去の物でも) その重みに恐らくあの聡い子供は気付いたし、そして其れは彼を打ちのめすであろうことは明白だった。

「イオン、あのルークは…?」
「…今アニスが報せに行ってくれてます。じきに来ると思いますよ。」

イオンはどこか硬い表情のまま、少しばかり俯いた。 何処か痛々しい色を帯びるその横顔に内心疑念を抱きはしたが、ありがとう、という応えは極自然に口から滑り出た。

「……ルークは優しいひとです」

不意にぽつりとイオンは呟いた。少しばかり唐突な言葉だったが、今の状況にそぐわないものでは決してない。 その内容に反して自分を糾弾する(もしくは慰める)ような色は少しもないのが些か不釣合いといえば不釣合いではあったが、 それでもイオンの悼むような声色に歪みはなくただ静かにその言葉は響いた。

「…ああ、そうだな、」
「いつだって優しいひとでした。ただ其れを表に出す方法を知らなかっただけで……」

前にも同じことを言っていたのを思い出す。あれは確かルークが髪を切った辺りの時期だ。 ルークの変貌に驚く皆の中でこの導師だけはこう言って笑っていたものだ。

「そう…だな」

あの子供は確かに不器用な優しさを持っていた。それから目を逸らしてしまったのはただ一度きりだ。 賭けの天秤が揺れることに恐れて、自分は奈落の其処に打ちひしがれる彼の前から去った。

しかしどうだ、堪えきれず迎えに戻ったその先でルークは確かにそんな自分を見て笑いかけた。 それどころか過分な処遇だと喜び、礼を述べ、涙ぐんでまで見せたのだ。

「まったく優しいやつだよあいつは」

ひどく穏やかな気分で、かみ締めるように零す。同意を求めるまでもなく、イオンに笑いかけるよう 首を巡らした。

―――だが、


「ガイ」


導師は思いもかけず静かな眼差しで此方を見ていた。浮かべているであろうと思われた、 穏やかな笑みの欠片もなく酷く真摯な表情でただ此方をじっと見つめているのだった。

「イ、イオン…?」

その落差に驚いて、思わず上ずった声が出る。 イオンはその緑色の瞳を揺らして、少しばかり逡巡のような色を見せたが押し出すように言葉を落とした。

「ルークはいつだって、優しいんですよ。…表に出さない、だけで。それを貴方は分かってるんですか」
「え、ああ。勿論だ言っただろう?」

似合わぬ口調で問いかけたイオンは、それを聞くと打ちひしがれる様にまた俯いてしまった。

「…優しいひとなんです。ルークは…気付いてください。お願いですから」
「イオン…何を言ってるんだ…?」

憔悴のような色まで見せる導師にどこか呆然と声をかける。目の前の少年が何を悲しみそして悼んでいるのか が、まったくもって判然としない。
ルークが優しいなんてことは、それこそ身にしみて知っている。俺がそういった擁護のような台詞を吐く のだって、自然なことである。ルークを虐げるような(あのヴァンデスデルカのような)輩に 言い募るならば兎も角、イオンが必死になってこの自分にそんな類の台詞を吐く必要はない筈なのだ。

「俺はルークの、」

言いかけてはたと黙り込む。
俺はルークの親友だ。兄でもあるし親でもあるといえるだろう。使用人という立場だって 自分が立つ位置をルークの側に正当化する意味では重要なものだ。そして恐らくは生涯の主君。


ルークは俺の全てだ。そして俺はルークの、



「ガイ」

導師の声が酷く冷たく響いた。裁定を下す体裁で開かれる唇から、零れ落ちた言葉に目を見開けば逃避を許さぬ 瞳が予想だにしない苛烈さで据えられた。


「貴方はルークを裏切ったわけではない。…ただ、貴方は貴方であっただけだ」


返す言葉を失って、呆然とイオンの顔を見詰める。少しばかり憔悴した色をまた過らせて、 イオンは貴方がそれを分って下さることを祈ります、と続けた。

訳がわからない。ルークを優しいということが、イオンの痛みに繋がる理由が。糾弾する口振りで裏切っていないなどと 分りきった慰めを口にする。

分ったのはイオンが俺がした行為、ルークに剣を向けたこと――にさして咎める必要性を感じていないという 可笑しな事実だけだった。







「ガイ…」

言葉を失ったナタリアの後ろから、静かにルークが歩み出る。眉を寄せ何かを堪える表情は痛々しく、 思わず何もかもを擲ち平伏して許しを請いたい気分に駆られた。そうしてやりたい、そうすればルークは 俺の過ちを責めはしないだろう。だがそれでは結局のところ俺の欺瞞は終わりを見ない。 衝動を押さえつけて、ジェイドの曝した事実をあっさり首肯した。

「俺はファブレ公爵が憎かった。…だからお前を殺そうとした――そんな俺を信じてくれるか」

揺れる動揺に、しかしどこか安堵する。非難と同情を綯い交ぜにしたような空気が部屋に渦巻き、 それが自分とルークに収斂しているのが肌で感じられた。冷めた瞳でこちらを見ている軍人は、あいも変わらず こ憎たらしいほど表情の変化が見られないがそのくせ、斯うしてルークに真実を報せることに痛むような様子であったのが少し ばかり滑稽だった。ティアやアニスは酷く沈痛な顔をしていたし、ナタリアに至ってはまるで自分に剣先が向けられているかの 如きに顔をゆがめていた。視線をめぐらせていけば、イオンの姿が視界に入ったが少しばかり俯き加減の彼の瞳を 窺うことは出来なかった。
そして傷ついているであろう顔を見ることが出来ず、そっとそのまま顔を伏せた。


「………、え」


唐突に襲った違和感に、思わず顔をはね上げる。今何か、そう何かがあったという気がした。それはまるで 歪んだ鏡を見るように、酷くいびつで曖昧な変化だったが、確かに何かがちがう、と頭の中で警鐘がなった。



「――俺はガイを信じる」



顔を上げた拍子に、真っ直ぐな翠とかち合い思わず息を呑む。訥々とした調子で押し出される言葉はだが其れゆえに つよく、深くへと入り込み下らない違和感のようなものなど忽ちに吹き飛ばした。

「ルーク…いいのか」
「お前も」

ふ、と淡く笑んでルークは続けた。お前も俺を信じてくれただろう?

「ルーク…」

痺れるような感覚に身を貫かれ、目の奥が灼けるのが分った。ルークは俺を許した。――聖なる焔の光、俺の全ては 俺の罪を許しそして信じるといった。残酷な真似をして彼を裏切った自分を、許すと。


ルークを見れば、其処には何時ものように穏やかに笑む彼の姿。なんと幸せな、自分。



――静かに、静かに笑んでそうしてルークは言った。



「おれはだいじょうぶだから」

「……え?」

「……もう少し休めよ、ガイ。まだ支度もすんでないし出発までは長い。…イオンも疲れてるし」
「ルーク、」

もういちど綺麗に笑ってからルークは、おれはお前を信じてるよ、と言い直した。

ジェイドが、ではそう言うことですしと退室を促したのでルークも踵を返した。

何かがおかしい、――何がおかしい?だが揺れる赤は飽く迄も優しく、静やかだった。 ふと視線を感じ顔を向ければ、今度こそイオンは悲しげな顔で此方を見ていた。しかし 一瞬間後にはまるでそれが嘘のように晴れやかな笑みで、そのまま部屋を出て行った。恐らくはルークを追ったのだろう と何故か確信していた。



誰もいなくなった部屋の中、麗らかな水の都の昼下がり。何処にも自分を咎めるものはない、許しを与えるルークしか 俺の中には存在しない。



――俺はガイを信じる
――貴方はルークを裏切ったわけではない
――おれはだいじょうぶだから
――ルークは優しい人です

何かが変だ、おかしい。齟齬が見つからないという馬鹿げた焦燥に、だが自分を嗤ういとますらない。

優しい真っ白なルーク。俺の卑劣な裏切りに傷ついたであろう哀れなルーク。そして赦しを与えた高潔な。

――俺はガイを信じる
ルークは何時だって俺に掛け値なしの信頼と、光を与えた。
――おれはだいじょうぶだから
ルークを傷つけた俺が、俺自身を責めるであろうと見越しての優しさだ。そういうところは昔から変わりはしないと思う。

なのに、イオンは酷く悲しげに(晴れやかな笑顔で)俺を見た。

――ただ、貴方は貴方であっただけだ

だから裏切ってなどいないのだ、と言わんばかりの口振り。其れはまるであのヴァンデスデルカのような 呆れた論法に少しばかり似ていた。曰く、信じていないものを裏切ることは出来ないとか、そういう類の――

馬鹿馬鹿しい、と小さく呟く。お願いですから、などと言い募ったイオンの顔が浮ぶ。 ルークが優しいなんてとっくに知っている。知り尽くしている。俺がルークについて分らないことなんて。



(……静かに笑んだ彼は、何時からあのような線引きの仕方を知ったのだろうか)



あの時。傷ついた彼から目をそらしたあの時。
押し出すように吐息を落としたその僅かなさざめきが、耳を震わせた。


まるで溜息を吐く様な其れは、きっと空耳なのだろうが。






ガイ様華麗にすれ違い第二弾。てか致命的。
ルークルークルー略なガイ様(御年21)少しばかり思い上がり編(え
イオンたま(2歳児)は大人。ルークん(7歳児)は達観気味。