睥睨した世界に広がるもの




「お迎えに上がりました、わが主」

目の前に立つ青年は、厳しい表情で私を見やりもう一度同じ言葉を繰り返した。


私はデスクから立ち上がり、静かにテラスへと向かう。揺れる白いカーテンの傍らで彼は私が歩み寄るのをじっと見つめていた。 英国風に統一されたガーデンへと開けたテラスに立ち尽くすには、彼のそのずるずるとした格好は奇天烈なもので、まるでそぐわなかった。此処がチャイニーズタウンであれば少しはマシなのかもしれないが、知り合いの中国人達でもこんな格好をしているものはいなかった。

「意味が分りません。何故私が会ったことも無い貴方の主なんかになれるのですか。」

青年は一瞬たじろいで、瞳に不可解な色を過ぎらせたがわざとらしく首を巡らせるとそろそろとその場にしゃがみ込んだ。

青年の格好より何より此処が自分――Lの住まいであることを何処で知ったのかとか、そもそもどうやってここまで入ってきたのかなどという重大な問題が未だに山積していたのだが、床に東洋の正座の格好で座りこんだ彼に思わず問いかけようとした言葉が宙に浮いた。

「あの、何をしているのですか?」

間抜けにも率直に問いかけてみたが、青年は固い顔をしたままただじっと膝の上に置いた手を握り締めた。幾度かその掌を握ったり緩めたりしてから、ちらりとまた私のほうを仰ぎ見た。その表情が酷く厳粛なものであったので、私は自然と口を閉ざして青年が言葉を発する其の瞬間を辛抱強く待った。



「……天命をもって主上にお迎えする」


優美な動作で彼は首を垂れた。否、そんな軽いものではない。頭が地につくほど思い切り腰を折り曲げてそしてあろう事か、私の足を掌で包んで其処へ額を押し当てようとした。

余りのことに唖然とし、しかし彼の手が私の足へ触れた瞬間反射的に一歩飛びずさる。その弾みに鈍い音がして青年の身体が大きく跳ねた。彼の頬を蹴り飛ばしてしまったらしいということに気付き、慌てて倒れた彼の側に膝を折った。

「すいません、大丈夫ですか」
「……う、」

伏せった彼の口の端から赤が流れているのを認め、其処へ手を伸ばす。何故か此れだけのことで彼の顔色は紙の様に白くなっている。何処か頭を打ち付けてしまったのかと思わず血の気が引いた。

「怪我を、」
「…いいんです、どうか、お気遣い無く」

自分の仕打ちに怒りだすどころか、青年はまるで恐縮する態度そのままで、伸ばそうとした私の手をやんわりと遮った。 のろのろと彼はもう一度先程と同じ体勢を取り直して、今度は酷くゆっくりと私の足へと手を伸ばしてくる。触れる一歩手前で躊躇うように揺れた手を、何故か唐突に哀れに思い、いいですよ、と許諾の台詞を口にした。

その言葉にあからさまに安堵の色で息を吐いた彼は、今度こそ私の足の甲へその額を乗せた。



「御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと誓約申しあげる」


謡うようにして述べられた響きの意味を理解する前に、跪いた青年は促すように添えた手を小さく動かした。


「許す、と仰って下さい」
「……今の、」
「私の、主」

highness、と美しい発音で綴られた言葉に、背筋がぞわりと粟立つのが分った。その衝動の儘、青年の声をなぞる様にして言った。

「――許す」



其の瞬間脳天を貫いたものが、どんな感情だったのか、自分でも分りはしなかった。





オイオイなアレですいません